乗り越えた先の景色を見せたいと思うことは

 

 

ルルが5年生になる少し前

 

残りの小学校生活をどのように過ごしていきたいか

 

ルル本人と家族とでたくさん話をしました。

 

 

ルルが好きなこと、したいこと

 

少し先の目標

 

そのために今するべきこと。

 

 

 

時間は有限

 

何事も取捨選択

 

そのことを念頭に置きながら

 

ルル本人の気持ちと優先順位を

 

考え抜いて環境を選んだつもりでした。

 

 

でも、その環境が適正ではなかったら?

 

そもそも適正かどうかの判断は?

 

 

ブログお休み中、再考したかったのは

 

勉強に関する環境についてだったのですが

 

実際には、サッカーで壁にぶつかりまくっていました(^^;

 

 

 

satoko2699.hatenablog.com

 

 

 

(合格後すぐに入会の手続きをし練習開始も目の前に迫っていた時、他のクラブのコーチからお話があり)

 

この時書いたクラブとは別のクラブへその後入り

 

4月から練習をスタートさせていました。

 

 

 

詳細は割愛しますが

 

事情も少し複雑だったし

 

(クラブやコーチ同士の関係とかね・・・)

 

それはそれは悩んで

 

ルルとも何度も話し合って

 

結果的に、セレクションを受けたクラブへの入会を辞退し

 

今のクラブへ入れていただくことに決めたのです。

 

なぜなら、ルルの目標達成のためには

 

それがベストな選択だと思ったからです。

 

 

入ってから大変なのは最初からわかっていたけれど

 

それも含めて覚悟を持って決めたはずでした。

 

 

最初の頃はね、がんばっていたのです。

 

自主練も続けていたし

 

練習終わりにはサッカーノートも書いて

 

内容を振り返り自分の課題にも向き合っていました。

 

 

そうやってがんばってはいたけれど

 

だんだんと練習が辛く感じるようになってきてしまい・・・

 

 

目指すところが高くなればコーチの要求も高くなる。

 

周りの子たちの意識も高く

 

相乗効果で練習のレベルも上がっていく。

 

大変だけど、成長するには素晴らしい環境だと思います。

 

 

 

練習中はいつも厳しいコーチが

 

ある日、「ルルー!」と叫んだ後

 

普段だったら

 

「もっと球際強く!」

 

「攻守の切り替え!」

 

など具体的な指示が飛ぶのに

 

 

(思わずという感じで)

 

「がんばれ!!」って言いました。

 

 

多分いつもそういう気持ちでいてくれているんだと思う。

 

 

(コーチとはたくさんたくさん話をして、私自身学んだことが大きすぎるのでまた別の機会に書きます)

 

 

親の私も

 

がんばれがんばれって心の中でいつも祈ってる。

 

でも同時に

 

練習についていけているようには見えるけれど

 

頑張らせすぎているのではないか

 

無理なことをさせているのではないかと

 

いつも不安と戦いながら葛藤している。

 

 

そう、何が一番不安なのかを考えると

 

このまま頑張らせることがルルにとって一番よいことなのか

 

確信が持てないというところなのだと思う。

 

 

わが子のキャパオーバーを知る術は?

 

親ができることはなんだろう?

 

 

 

子どもの目標はわかっていて

 

それを達成するためにはこの環境がベストだと思っている。

 

コーチはよく見てくれた上で大丈夫だと言ってくれている。

 

でもルル本人は苦しんでいて

 

親の私はどうするのが最善か確信が持てない。

 

 

 

矛盾しているかもしれないけれど

 

無理はさせたくないという気持ちと同時に

 

私の中に大きくあるのは

 

「乗り越えた先の景色を見せてあげたい」

 

という気持ちなのだと思います。

 

 

 

頑張った人にしか見えない景色

 

諦めずに続けた人にしか得られない達成感があると思うから。

 

 

 

でもそう思うこと自体、親のエゴなのかな。

 

親の私が「乗り越えられるわが子」を望んでいるだけなのか

 

「乗り越えられないわが子」を受け入れられないだけなのか

 

はたまた、乗り越えさせられないのは

 

親の力不足なのか。

 

 

適正な負荷はどこまでなのだろう。

 

 

 

「あの時諦めなくてよかった」と思えるのは

 

乗り越えた後のこと。

 

 

大人が経験上知っている

 

「あの時の辛い経験がその後の糧になった」は

 

日々辛い現実と向き合っている子どもには響かない。

 

 

だって今辛いんだもの

 

今大変なんだもの

 

 

 

 

でもだからこそ乗り越えさせたい

 

その経験をさせたい

 

勉強でもスポーツでもなんでもいいから

 

 

あのとき諦めずに頑張ってよかったと

 

無理だと思っていたけどできたと

 

 

そして乗り越えたことを自信に変えて

 

次の困難を乗り越える力にしてほしい。

 

 

 

経験したことのない

 

想像することもできない

 

乗り越えた後の自分に向かって

 

一緒に伴走するのが親の役目なのかなとも思って。

 

 

 

でも今、目の前に壁が立ちはだかるこの瞬間は

 

具体的にどう過ごしていけばいいのか

 

どうサポートすればよいのかわからなくて。

 

 

ルルの様子を見ている夫は

 

「もう無理なんじゃないかなと思うよ」と言う。

 

それもよくわかる。

 

 

でも決断できないのは

 

ルル本人が「あの時もっと頑張ればよかった」

 

と後で思ってほしくないのと

 

私自身が、なぜあの時もっと頑張らせなかったのだろう

 

サポートの仕方によってはもっと頑張れたのではないか

 

と後悔することが怖いんだろうなぁ。

 

 

子どもは自分の分身ではないし

 

子どもの人生は親の人生とは別で

 

子ども自身のもの。

 

 

だけど、子どもの将来は親の努力によって変わると言われると

 

ではどこまで関わればいいのかと。

 

子どもの努力がイコール自分の努力となってしまう

 

続けられない子ども、続けさせられない自分。

 

 

乗り越えた先の景色を見せたいと思うことは

 

親のエゴなのだろうか。

 

 

 

今回はサッカーだったけれど

 

これから先、学校とか塾とか様々な場所で

 

同じような悩みにぶつかるのかもしれないな、と思う。

 

 

「やらなければいけない勉強」と

 

「やらなければいけないわけではない勉強以外のこと(スポーツetc)」では

 

また違うのかもしれないけどね。

 

 

 

現状にも答えが出ていないので

 

その時どうしたらいいのかなんてわからないけれど

 

どちらにしても、目の前のことに一つ一つ向き合っていくしかないんだろうな。

 

 

(自分の思考整理のためにすんごく長く書いちゃったけど、結論はありません(^^; でもちょっとスッキリした。読んで下さった方がいらしたらありがとう!)